これだけの高齢化社会です、透析患者さんの平均年齢も高くなっています。日本透析医学会が発表しているデータによると、透析導入の平均年齢は70歳を超えています。透析技術の進歩により、元気で長生きする透析患者さんは増えていますが、週3回の血液透析を苦痛だと感じる方も少なくはありません。週3回の通院が困難だったり、穿刺が困難だったり、透析中に血圧低下や気分不良が頻発する方もいらっしゃいます。様々な対処で、何とか乗り越えてはいますが、先日、アシストPDについての講演会に参加し、大変感銘を受けたため、もう一度、しっかり学び直すことにしました。

 

 腹膜透析について、恥ずかしながら私の知識は20年前のままアップデートできていませんでした。どうしたものかと調べているうちに、ちょうど腹膜透析に関する基礎セミナーが実施されるタイミングでした。正確には、申し込み期限を過ぎていましたが、学会事務局に「どうしても受講したい」とお願いし、受講させていただくこととなりました。年1回しか開催されない講習会を「やりたい」と思ったタイミングで受講できたのはラッキーでした。講習会当日、日曜日の午前中だというのに参加者が多く、先生方のお話も実践的で、とても良い刺激を受けました。実際の学びはまだまだ、これからです。私が今、一番興味を持っているのは、アシストPDです。血液透析での困りごとを乗り越える次の一手としての可能性を強く感じています。

 

 私が血液透析に関わり始めて30年足らず。「末期」慢性腎不全という言葉に不快を感じ、透析導入になることを「終わった」という表現が嫌いでした。透析ライフを新たな人生の始まりと考え、元気で長生きできる透析治療を提供するにはどうしたら良いか、人間の腎臓にとってかわるような代替療法としての理想の血液透析とはどういうものかを考え続けてきました。長時間透析、高血流透析、血液濾過透析、徹底した水質管理、合併症の把握、患者さんやご家族とのコミュニケーション、ブラッドアクセスの管理などに配慮しながら地道に一人一人と向き合うことがその答えなのかな、と思っています。一生懸命やってきたつもりなのですが、手詰まりになることもありました。良い治療・正しい治療とは何か、私が考える「良い」と患者さんの「良い」が本当に合致しているか、考え始めると宗教とか哲学とか、そんな分野にも入り込み、正解にたどり着くことができません。医療者はもっと柔軟に、もっと多様性を認め、もっと謙虚にならなくては。ドラえもんのポケットには、患者さんが求める生き方に寄り添うことができる様々なツールをたくさん持つべきです。

 

 週3回もの通院が耐え難い苦痛になっている透析患者さんが、「もうこんな透析は嫌だ」と言った時、家族が「もう家では面倒見きれない」と言った時、このままでは患者さん自身が疲弊してろうそくの火がフッと消えてしまうような危険を感じた時、私は長期間入院可能となる病院に紹介するという選択肢を提示していました。透析施設のある長期療養型の病院に入院して命を繋ぐという方法は、必ずしもベストな選択肢というわけではありませんでしたが、元気になったらまた自宅に退院し通院透析を再開することができるかもしれないというわずかな希望を持って、弱った患者さんは入院を選びます。しかしながら、住み慣れた家や家族と離れ、通い慣れた病院から離れるという寂しさに耐えきれず、自ら命を絶った患者さんがいたことも私の心に深く残っています。

 

 そんな葛藤を抱えた私が出会ったアシストPD。もう少し患者さんの選択肢を広げることができそうな方法です。医薬分業が叫ばれ、医療から介護分野が切り離されることとなり、それぞれに独立して進んできました。医療、介護、薬局がそれぞれに専門性を高めるのは素晴らしいことですが、それぞれの分野が上手に連携をとり、一人一人の人間を支えるという仕組みがうまく機能していないように感じています。

 

 自分が死に直面しているとしたら、どう感じるのか。できることなら、死を覚悟した瞬間「色々あったけど、楽しい人生だった!」と感じて死にたいと思います。満足できる人生だったかどうかなんて、死ぬ瞬間までわかりませんが、後悔は少ない方がいい。何を楽しいと感じるか、どんな人生を謳歌したいのか。これも人それぞれ違います。だからこそ、時間をかけて一人一人に寄り添うことができなければ、その人の人生を謳歌するお手伝いなんてできません。医療費削減が叫ばれる今の時代、それを現代の保険医療に求めるのは無理なのかもしれません。いろんなことが複雑に絡み合い、さまざまな価値観を持った人と人とが本当にわかりあうなんて難しい。保険診療とは違う仕組みの確立が必要でしょうね。

 

 そもそも、血液透析は、「血液を介して体内環境を浄化する」一つの方法なのです。自分の腹膜を使って体内環境を浄化する方法もあれば、家族からもらった腎臓や不幸にしてお亡くなりになった方の腎臓をいただき、自分の体内環境を浄化する方法もある。もしかしたら、近い将来、再生医療や動物の腎臓を利用する方法や皮膚パッチや内服薬により体内環境を浄化することが可能になるかもしれません。

 

 今現在、提供できるすべての医療技術を駆使しても解決できない問題は、今後の課題として乗り越えるべく、真摯に取り組んでいきたいと思います。しかしながら、今ある知識や技術を自分が知らなかった、あるいは自分の努力不足で実践できなかったがために、目の前の患者さんが苦しんでいるとしたら、それは医療を生業とする私にとって耐え難い苦痛です。とはいえ、しがらみがない世界ではありません。いろんな圧力や利権も絡み、そう簡単にさらりと前に進めるとは思っていませんが、強い信念と諦めない心があれば、きっと少しずつ世界は変わると思います。